2013年03月31日
「屋代線廃線・D編成引退」から1年
2012年3月31日、長野電鉄・屋代線が長い歴史に幕を閉じました
時を同じくして、長野電鉄・2000系D編成も引退し・・・
屋代線最終定期列車到着と共に、O(オー)1編成と共にA編成が川田へ
2012年3月31日…あれからもう、1年経ってしまうのかとふと感じる時があります。ちょうどこの週末、須坂駅で下車する機会がありましたが、留置されているO(オー)6編成とN5編成が、今か今かと出番を待っているようにも見えました。そして4番線ホーム(屋代線ホーム)にも、「須坂止まりの電車が・・・」というアナウンスが流れているような、そんな錯覚すらします。
あの日は友人と最終の屋代行きに乗り、すぐに折り返した上で松代で下車。最終の須坂行きで戻ってきました。一番鮮明に残っている記憶は、私の場合「須坂駅でのスライド」でしょうか。最終列車が須坂に到着すると、まもなく名残を惜しむかのように大きなタイフォンが聞こえ、O1編成とA編成が、信濃川田へと旅立っていきました。
1年が経過し、先日須坂駅南側の踏切も廃止。1つ、また1つと屋代線の面影が消えていくのが、今でも何だか寂しく感じます。それと共に、「地域の足」を守ることの難しさを、今更ながら痛感させられた日でもありました。
Posted by 新田川公園 at 12:00
│長野電鉄